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武川 和憲Take

2017.08.23

31のたび日記【22/31】世界遺産のまち・岩手県平泉町

この旅はあれです、観光するのが目的じゃないんです。
知らない土地に行き、ひとに会って話をし、同時に地元・岡山県津山市をPRするという大きな目的があり、とても観光なんてしてる場合じゃないんです。これまで、観光スポットという観光スポットをことごとくスルーしてきました。金沢の兼六園、長野の松本城、東京スカイツリーに日光東照宮。行こうと思えば余裕で行けたし、いずれ行きたいところではあるんですが、今回は優先的に切り捨ててきました。

 

しかし。なぜでしょう。頑なに観光を拒否してきた僕が今いるのは

関山 中尊寺。『中尊寺金色堂』で有名な世界遺産です。
中尊寺の入り口には、世界遺産登録に合わせてがっつり整備されたと思しき広い駐車場と、それを囲むようにお土産物屋や飯屋が立ち並んでいます。ザ・観光地の様相。

なぜ僕はいまここにいるのでしょうか。誰かに勧められたわけでもなく、金色堂を見たかったわけでもありません。これはもうあれ、仏の導きというやつ。それしか考えられません。
導かれたのなら仕方ない。全力で中尊寺を観光してやりましょう。

中尊寺は小高い山の上に17ものお堂を配置する、大規模なお寺。

地図右側の国道四号線沿いにある平泉町営中尊寺第1Pというところから、月見坂と呼ばれる、割と急かつ苔のせいでぬるぬる滑る坂を上ります。
観光客を観察したところ、中尊寺は建物が多いし、一つの建物に賽銭箱がいくつもあるので、多くのひとが薬師堂あたりで「このペースで賽銭してたら財布もたなくね?」と気づき、あとの小規模のお堂は立ち寄って眺めるだけか、そもそも立ち寄りすらしなくなるかのどちらかになるようです。ですが、本堂や金色堂、讃衡蔵(宝物館)の旧本尊の前に立つと、途端に賽銭箱に小銭を放り込みたくなる不思議。”この建物や仏像がどういうものか知らないけど、要所っぽいところを抑えておけばとりあえずいいだろう感”がなんとも観光地的です。(くさしてる風だけど、嫌いじゃないこの感じ)

せっかく来たので、全面が金箔でコーティングしてあるという金色堂を見ることにします。
中尊寺自体は無料で入れるのですが、金色堂と宝物館だけは有料で、拝観に800円が必要。

金色堂は、覆堂(ふくどう)と言われる”お堂を風雨から守るためのお堂”の中にあります。金色堂は全身此れ金箔なので、何かで覆っておかないと劣化が著しいのです。(創建当初は野ざらしだったそうですが)
覆堂と金色堂を図示すると、こう。
絵のクオリティのことはそっとしておいて頂ければ幸いです。

金色堂は正直なところ、「あ、ふーん」という感じ。僕くらい色彩感覚が死んでいる者からすると、金箔を貼ったお堂も金色のペンキを塗ったお堂も同じに見えます。

どちらかというと、釈迦堂の竹林や

中門を彩る自然の緑の方が魅力的に感じました。

金色堂の次は、バーターになっている宝物館に行きます。撮影禁止なんで写真がないんですが、旧本尊を含む約5mの仏像3体がドンドンドンと並ぶ様は圧巻。
特に、かつての本尊である阿弥陀如来像になぜか強く惹きつけられ、たくさんの観光客が一瞥して過ぎ去って行くなか、阿弥陀如来のアルカイックスマイルにひとり釘付けになっていました(デカいバックを背負ったまま立ち尽くす髭面の男は、さぞかし怪しかったことでしょう)。
仏の力で流行病を撲滅しようとした為政者や、救いを求めて宗教に傾倒する人々の気持ちが少しわかった気がします。目の前にあるこの物体が、単なる仏像ではなく、”偶像”であることを人生で初めて認識しました。

やっぱりあの、阿弥陀如来…ですかね、僕をここに呼び寄せたのは。きっとそうだ。うん。(呼び寄せただけで、このあと特に天啓的な何かを与えてくれたわけではないですが)

 

さて。ちょっと歴史の話をしましょう。
中尊寺は奥州藤原氏の菩提寺で、先ほど話題にした金色堂には、藤原四代の遺体(ミイラ)が安置してありました。上から三代は全身が現存していますが、四代目・藤原泰衡はなんと頭部のみ。しかも刀傷だらけ。なぜ栄華を極めた藤原氏の当主が、こんなことになってしまったのでしょうか。

奥州藤原氏が栄えたのは、源平合戦が行われていた平安時代末期のこと。牛若丸で有名な源義経は源氏の勝利に大きく貢献しましたが、彼のえげつないほどの才能が、兄・頼朝の嫉妬心に火をつけてしまいます。そんなときに『義経があんたの地位を狙ってるらしいぜ』という噂を聞いたものだから、頼朝は怒り狂い、討伐隊を作って義経を葬り去ろうとします。これをいち早く察知した義経は、かつてから仲良くしていた奥州藤原氏の元に逃げ込み、三代目当主・藤原秀衡に匿ってもらうのですが、秀衡はその後、わりとすぐに死去してしまいます。その際、「四代目当主の泰衡は主君・義経を守るべし」と遺言するのですが、かねてから頼朝に怪しまれていたことにビビった泰衡は、「義経はんここにいてまっせ!」と頼朝に告げ口します。泰衡は頼朝から「そうかよく教えてくれた」とにこにこ顔で言ってもらえると思っていたのですが、「義経を匿ってたんならきみも同罪ね」ということで討たれてしまいました。
なので、初代~三代目が全身きれいな状態で残っているのに、四代目だけは傷だらけの頭部しか残っていないのです。

…というような歴史的背景を事前に知っていつと、観光がより楽しくなるかもしれません。

 

そして、そんな奥州の旅の宿はこちら。
民宿旅館きくすい荘
外観めっちゃいい感じ。

そして女将らしきおばちゃんが非常にナイスなキャラでした。マシンガントークしてひとりで笑うので、こちらが調子を合わせて一言コメントすると、「は?」みたいな感じでバッサリ切り捨てるという名ピッチャーみたいな方です。打たせて取るタイプ。これを繰り返していると、たまに「そうなのよ!」と返してくれることがあり、「は?」と「そうなのよ!」を予想してコメントするのがだんだん楽しくなってくる。

一応申し上げておきますが、実はここ、ゲストハウスではありません。
岩手県のゲストハウスをかなり探したのですが見つかりませんでした。ご存じの方は教えてください

 

という岩手県の旅。明日は山形に向かいます。

 

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