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武川 和憲Take

2017.08.20

31のたび日記【19/31】炭鉱のまち・福島県いわき市

いわき市。
いまでこそひらがなの自治体はそれほど珍しくありませんが、僕が小学生だったころは「うわ!ひらがな出た!」という感じでした。2001年に浦和市が『さいたま市』になったときの衝撃をいまでも覚えています。
全国でみると、議会でひらがなの市名が決定していたにも関わらず、住民による反対運動によって破談になったものも多くあるようで、「ひらがななんて受け入れられるわけないだろ!」という風潮が確かにありました。ここ最近はそれほどでもないようですが、これは裏を返せば、国民がひらがなか漢字かにあまり執着しなくなったということであり、ひらがな市はもはや世間の注目を得る事柄ではなくなったと言えます。今後は、ひらがな市名はあまり出てこなくなるのではないでしょうか。
ちなみに、ひらがな市のハシリは『青森県むつ市』だそうで、成立したのはいまから60年近くも前の1960年だとか。むつ市だけに最先端(本州の)。

 

さて。いわき市の話をしましょう。
現在のいわき市域には、かつて磐城(いわき)市や石城(いわき)郡が存在しており、中世には岩城(いわき)氏がこのあたり一帯を治めていました。長らくの、3つのイワキが入り乱れるイワキ戦国時代に終止符を打つための方策として、ひらがな表記の『いわき』が採用されたのではないかと察せられます。「いっそひらがなにしちまわない?」という大胆かつ平和的に3派をまとめ上げる発想。素晴らしい。

いわき市は福島県内で最大の人口および面積を持つ中核都市。古代から温泉で栄えたまちです。
温泉街には、愛が溢れて情報過多になっているマップがまちのいたるところに設置されています。紙バージョンもありますが、A2ぐらいで、まち歩き用にしてはでかすぎるサイズ。

この市はなかなかいろんなものをもっていて、温泉の他にも、新種の首長竜・フタバスズキリュウを筆頭に恐竜の化石が多数出土していたり、石炭の採掘で一時代を築いたりしています。
また、いわき市は2006年公開の映画『フラガール』の舞台にもなっているまちで、約60年前に常磐ハワイアンセンターで始まったフラダンスが、現在でもこの地に根付いています。(温泉街の女将たちが着物でフラダンスを踊る”フラ女将”、全国の高校生がフラの技術を競う”フラガールズ甲子園”などが催されている。駅の待合室で話したおばちゃんは「いわきのひとはみんなフラダンス踊れるよ」と言っていたが、これはさすがに誇張だと思う)

 

先ほど述べたいわきの3つの持ち物。このうち、化石×炭鉱に特化した施設がこちら
石炭・化石館ほるる
施設名からはあまり面白そうな感じがしないのですが、実際行ってみると、めちゃくちゃ面白いです。
外観はこんな感じ。写真ではちょっと伝わりづらいですが、山の中に唐突に現れるUSJ感。

中に入ると、まず出会うのがこいつ。

例のフタバスズキリュウです。双葉層と呼ばれる地層で鈴木さんが発見した恐竜なので、フタバスズキリュウ。わかりやすい。
キリンを超越する、胴体に比べて首が異様に長い生物です。海中で生活していたのですが(足はウミガメのようにヒレ化している)、ワニの強化版みたいな生物や大型のサメがたくさんいる水中では、首の長さでイニシアチブが取れるとは思えないし、ともすれば急所丸出しで危険な気さえするのですが、彼なりに生存戦略上有効だと判断したがゆえの進化なのでしょう。

展示室はこんな感じで、恐竜世代の僕にとって夢のような空間でした。


恐竜ゾーンを抜けると、エレベーターが現れます。
乗り込むと、「これから地下600mまで下ります」というナレーションと、炭鉱の古く簡素なエレベータが発する独特の異音や加速音、滴る水の音。真っ暗な室内、到着までの時間など炭鉱感を演出する凝った造りになっているため、本当に地下600mまで下った気分になります。

エレベータ降りたところはこんな感じ。

…誰もいない。
薄暗いし、近づくと急に動いてしゃべりだす人形とかがいて、軽くお化け屋敷でした。
このような地下空間が普通の速度で歩いて10分ほど続くので、恐怖が閾値を超えたらその時点で発狂しかねません。ここはひとつ開き直って、鼻歌を歌ったり、解説文を読み込んだり、たまに人形に話しかけたりしながら心やすらかに進みましょう。

…でもまぁ、ここ実は1階なんですけどね。壁一枚隔てた裏側が先ほど紹介したフタバスズキリュウがいるエントランスです。単にエレベータで2階から1階に降りてきただけなんですが、この時点ではそのことを知らなかったので、「さすがに地下600mではないだろうけど、地下なのは間違いないな。うん…(怖)」と思ってました。電波が入らなかったのも演出なのでしょうか。

そんな感じの、僕的には大変面白い施設でした。
まちには温泉がたくさんありますし、フラガールのショーを観ても楽しいと思います。丸一日遊べるまちです。

あと、そうだ。アイキャッチ画像は単に”炭鉱”のイメージです。いわき市の炭鉱の画像ではないので、念のため。

 

さて。
本日の宿は、温泉街&市街地から少し離れた海辺の集落にあるこちら
ゲストハウスF&R
法人運営ですが、オーナーは社長ではなく、社員なのだそうです。スタッフの方に聞いたのですが、F&Rを運営している会社は、社員それぞれが裁量を持って独自に事業を展開しており、曰く「みんな社長みたいな感じ」なんだそう。会社形態や事業内容がこの地域では異色なため、好奇の目を向けられることもあるそうですが、こういう会社員が会社員であることに甘んじない会社、めっちゃいいと思います。

 

時間が少し戻りますが。
茨城から福島入りするときに頭の中にあったのは、先の東日本大震災でした。
東北編前半は太平洋側を進むので、震災の被害が大きかった地域を訪れることになります。
いわき市の海岸部には、要塞のような高く重厚な堤防が築かれており、未だ護岸工事をしているところも多々ありました。沖の方には防波のためのテトラポットがかなりの量、沈められてたりします。

宿の近くにはこのような碑があり、

かつては豊かな漁港だったこと、震災でたくさんの家屋が倒壊し人が出て行ってしまったことなどが書かれています。しかしながら、この地区は日ごろから高い防災意識を持って避難訓練を行っていたらしく、震災の犠牲者は一人も出ていないそうです。

碑の横にはポールが立っており、この高さ(約5m)まで津波が来たそう。

道路を挟んだ向こう側の広場のようなところには、かつて飲食店が軒を連ねていたそうですが、震災後は、お祭りの際などの一時的な出店や、移動車での出店なども禁止されているらしく、この地区の方々が津波に対する警戒心をいまなお強く持たれていることが窺えました。

明日は仙台、次の日は気仙沼に行きます。
少し怖くもありますが、できるだけ丁寧に震災の爪痕、復興の様子をレポートしようと思います。

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