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武川 和憲Take

2017.08.22

31のたび日記【21/31】復活のまち・宮城県気仙沼市

仙台市から気仙沼市への移動は、またしても高速バスを利用します。
終点の気仙沼駅はこんな感じ。

まあまあ普通の駅です。

ですが、切符を買ってホームに出ると、

線路があって然るべきところに、なぜか道路が。
道路を挟んだ向こう側は普通の駅のホームになっていて、ちゃんと電車が停車しています。
ひとまず、道路を横断して向こう側のホームに渡ってみましたが、こちらはどう見ても目的地とは逆方向に行く路線です。
ホームの先端まで行ってみました。線路と同じくらいの幅で、線路と並行して走る道路。


「え…ちょっとなにこれ切符買ったのに歩いてけっての?」と思っていると、向こうから赤い物体が近づいてきました。
なんと、というかやはりというか、やってきたのはバス。

このバスはBRT(バス高速輸送システム)と呼ばれるもので、被災した線路を復旧するよりも、道路化していち早く市民の足を復活させることを目的として運用されているそうです。なので、BRTが走る道のほとんどは元線路。下の写真のような一般車は入れない専用の道を悠々と走ります。

…ただこのBRT制度、事前に教えといてもらいたかったですよね。
路線はJRのものですが、バスを走らせているのはJRではないようなので、JRの切符を持っていても運賃として使用することができません。なのに、気仙沼駅では普通に券売機で切符売ってたので、いつもの調子で買ってしまいました。(バス停名が駅名を引き継いでいるので、「あれ、目的の駅が運賃表に書かれてないぞ…?」ということにもならなかったし、改札もなかった)
気仙沼に行かれる際は要注意です。

 

さて。BRTに揺られること約30分。本日の宿、
気仙沼ゲストハウス 架け橋
に到着です。
昼は親子のための絵本カフェ、夜はゲストと地元のおっちゃんのための居酒屋になるという地域密着型ゲストハウス。”​被災地気仙沼から第二の故郷気仙沼へ”をテーマに、気仙沼復興を目的の1つにして運営されているようで、スタッフさんが現地視察に同行してくれるなどのサービスもあります。
運営は、NPO法人 Cloud JAPAN。この日、地元の美味しい飯屋や明日の行動プランを提案してくれたスタッフさんは、はじめ、被災地ボランティアとして関東から気仙沼にやってきたのだそう。「ゲストハウスの運営を通じて、なにか気仙沼の役に立てれば」とおっしゃってました。

 

翌日は、スタッフさんに「震災がどんなものだったか知ってほしいので是非行ってくれ」と強く言われたので、押される形で『リアス・アーク美術館』を訪問しました。
建物は現代美術館風ですが、展示内容は郷土資料館そのもの。
2Fは気仙沼の歴史や生活、風土の紹介、1Fは東日本大震災の記録写真や漂流物などが展示してあります。
エントランスが2Fなので、1Fへは厚めのガラス扉を開けて階段を下りていくんですが、なんかもう扉開けた瞬間から、漂う空気が普通じゃないことを感じます。
壁には震災直後~数年後までの記録写真が、間の空間には津波による漂流物が展示されています。学芸員さんがこの展示室をつくるために費やした時間、注ぎ込んだ想い、ぶつけた熱量が半端ではなく、冷たく静かな空間で、展示品一つひとつからモヤモヤと湯気が立ちのぼっているような錯覚すら覚えました。
ホームページからもその片鱗を感じることができるので、是非ご覧ください。

画像を抜粋して貼っておきます。(出典元はすべてリアス・アーク美術館HP)



展示品(漂流物)の一つひとつに、もとの所有者にまるでインタビューしたかのような現実味を帯びたカードが付属しています。


壁の記録写真には、状況を詳細かつ端的に述べた丁寧な解説と、各テーマについての学芸員さんの想いが綴られたパネルが付属しています。
『被災物はガレキではない』。室内のすべての展示品たちが、そう叫んでいるようでした。

写真撮影OKだったので、いくつか撮りました。ここからは僕が写した写真の写真です。



線路や駅がこんなことになったので、電車の復旧よりも”市民の足”の復活を優先したのです。

 

気仙沼市は、地震による家屋の倒壊に加え、川を通り道にして上流まで遡上した津波、流出した重油に引火して何日も夜空を赤く染めた火災、60cm以上の地盤沈下によって、まちの形が変わってしまったといいます。

海岸沿いでは、昨日訪れた閖上(ゆりあげ)地区と同じように、更地を造成していました。
20日目のたび日記に「6年経ってまだこんな状況なのか」と感じたと書きましたが、その原因は、『嵩上げのため盛り土』です。十分な高さまで地面を上げるために必要な土の確保が難しいことと、嵩上げすべき面積が広大であること。これによって、6年経った現在でも、更地のままのところが多いのだそうです。
どれくらい盛らないといけないかというと、これぐらい。
画像の中央を左右に走る道路がもともとの高さ、撮影場所の道路が盛り土後の高さ。1m弱くらいでしょうか。市街地全部この高さにするとなると、相当な時間がかかります(市街地全部かはわかりませんが、「見える範囲全部」くらいにはなりそうです)。

 

リアス・アーク美術館の展示物の解説文を読み込みたくて長時間滞在したせいで、疲労感がえげつないことになっていました。電車に乗って次の目的地を目指すエネルギーが辛うじて残っていただけだったので、よろよろと駅に向かい、電車に乗って、気仙沼市をあとにしました。

 

あとそうだ、これだけは大事なことなのでお伝えしておきます。リアス・アーク美術館の学芸員さんも、海鮮丼屋のおっちゃんも言っていたのですが、「被災地を観光してくれ」と。「被災地の観光は不謹慎でもなんでもなく、6年前に起こったことを、6年後のいまの状況をどんどん見に来てほしい」と言っていました。
なのでみなさん、どんどん見に行ってください。海から少し離れた市街地はもうほぼ完全に復活しており、被災時の状況がちょっと想像できないくらいでしたが、それでも、震災の写真集や動画を見て感じた何倍もの感情のうねり実感することができます。
ぜひ。

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