REPLOG

レプログ

武川 和憲Take

2017.08.21

31のたび日記【20/31】復活のまち・宮城県仙台市

福島県いわき市から宮城県仙台市までは、高速バスで移動します。
東北の都市間移動は高速バスが便利。電車よりも乗車時間が少し長いですが、乗り換えないし、なにより運賃が格段に安い。電車の1/3くらいに抑えられます。
ただ、僕は三半規管が異常なほど弱いので、バスだと動き出した瞬間に酔ってしまいます。なんなら、「これからバスに乗る」と考えただけで、ちょっと気持ち悪くなるほど。なので、読書は言うまでもなく、何かを食べたり、音楽を聴いたりすることすらできません。(書いてて気づいたけど、これもう三半規管どうこうのレベルじゃなくない…?)
ゆえに、常に眠気を誘発するタイプの酔い止め薬を持ち歩いており、用法を遵守してきっちり乗車30分前に服用して、バスに乗り込むと同時に爆睡することにしています。この日も例に漏れず、酔い止め薬によって眠らされ、気づいたときには仙台に到着していました。

夕方6時前に仙台駅周辺をうろついていたのですが、駅前や駅ナカの飲み屋はすでにスーツを着たサラリーマンでいっぱいになっていました。

…ちょっと待って6時前ですよ6時前。旅立つ前の僕の感覚では、6時は「ちょっと休憩してからもうひと頑張りするかな」という時間です。その時間に、仙台のサラリーマンの皆さんは仕事を終えて楽しそうにお酒を飲んでるんですよ。
すごい。すごい羨ましい。旅人という謎の肩書でふらふらしている自分のこと棚に上げて、すごい羨ましい。あまりにも羨ましすぎたので、この不協和を解消するため、宿に向かう前にサラリーマンに混じって一杯ひっかけてやりました。

さて。
ほろ酔いで向かった本日の宿はこちら
仙台ゲストハウス 梅鉢
ご夫婦とたくさんのスタッフさんで運営されており、みなさんものすごく丁寧かつ気さくに接してくれます。宿は新しく、きれいで、なんとゲストハウス界では非常に珍しい新築の一戸建て。元々あった建物を改修するより、壊して新築した方が、安全面を考えるとむしろ安価だったそうです。(”安全面を考える”というのは非常に大事なことです。全国には結構「ここ大型の地震や台風がきたとき耐えられるの?」と不安になる宿がたくさんある)
この日のゲストさんは出張の際にヘビーユーズしている方や青春18きっぷで旅行中の方、関東から友達に会いに来た方など、いろんな動機で仙台を訪れた方々。消灯時間までみんなでしゃべったりお酒を飲んだりカードゲームしたりして楽しい時間を過ごしました。
この日は木曜日だったのですが、平日にこれだけ多くの日本人のゲストさんがいるのは珍しい。(僕なりの、ニーズ別の平日/休日×所在地によるおすすめ宿泊プランがあるのですが、これはまた別の機会に書きます)
この日はいつになく酒を召してしまったせいで、バスで爆睡したにも関わらず、布団に入って2秒で眠りこけました。

 

翌日。
常に行き当たりばったりで次の行動は直感的に決める旅をしてきたのですが、今日は違います。
旅に出発する前にもらったミッションの一つを果たすため、仙台市の南、名取市閖上(ゆりあげ)地区に行きます。
(ミッションの一覧はこちら

沿岸部はどこもそうだと思うのですが、これから向かう閖上地区は、津波によってそこに住んでいた人々の生活が根こそぎ流され、焼かれてしまった場所。
当時、津波が押し寄せる映像や、街が炎上する映像が繰り返しテレビで放送されていました。
正直、僕みたいなもんが行っていいものなのかわかりませんが、この目でいまの閖上を見てみたいという気持ちが強くあり、少し迷いましたが、行くことに決めました。

震災の様子は、地元消防団がまとめた
東日本大震災全国消防団報告研修会報告書
に詳細を記載してあります。
また、津波の映像がYouTubeにあるので、リンクしておきます。衝撃的ですが、閖上を訪れるのならこれは見ておかないとと思います。こちら

最寄りの名取駅から閖上まではバスが出ていますが、昼の時間帯は2時間に1本ペースなので、レンタサイクルで向かうことにします。

歩道が左右どちらかにしかないので、頻繁に車線変更をしながら走ります。

道中は田んぼが広がっていて、のどかな風景。

このあたりも津波に襲われたはずなんですが、そんな気配は一切感じません。見渡す限り、稲が元気に葉を伸ばした、青々とした田んぼが広がっています。

…が、上の写真を撮影した地点から10分ほど進むと、景色が一変します。
目の前に現れたのは、広大な更地。かつては住宅街だった場所と推察します。



震災後に建てられたと思われる建物がぽつぽつと。
このあたりから、『名取閖上地区被災市街地復興』書かれた大型トラックがひっきりなしに行き交うため、舞い上がる砂ぼこりで目を開けて進めないようになってきます。

官営(と思われる)の戸建て住宅や

マンションが新築されていましたが

ひとがたくさん住んでいる気配はありませんでした。建物がかなり新しかったので、まだ運営し始めて間もないのかもしれません。

海に近いところには慰霊のための塔が立っており、閖上を襲った津波は、この塔と同じ高さ(8.4m)だったそうです。

オレンジの建物も、白い車も、塔のすぐ近くにあります。津波がどれほど高かったかお分かりいただけるでしょうか。
名取市で亡くなった方のほとんどは閖上地区の方々。周囲には日和山と呼ばれる小高い丘以外に高まった場所はなく、そしてこの画像からわかるように、津波はその日和山すらも飲み込んでいます。
▲塔の向こう側、左奥の緑の草に覆われた小高い丘が日和山

津波に対してはできるだけ高い場所に避難すべきと言われていますが、逃げるべきところが見当たりません。

慰霊塔は正面から見るとこうなっています。

黒い石が種子を、白い塔が種子から発芽して天に向かって伸びていく様を表現しているようです。
亡くなった方々が天に昇っていく姿と、復興への決意を新たにする人々の姿をイメージして作られたそう。

 

日和山に登ります。

山頂からの眺め。僕の頭の位置と塔のてっぺんが同じくらいに見えます。

▲写真左側、広い空地の中のこんもりした土山に立っている白い棒状のものが、慰霊塔

日和山のふもとにある花壇。『ゆりあげ またきてね』という文字と震災からの経過年月が白い石で縁取ってあります。

徐々に、しかし確実に復活しつつありますが、「6年経ってまだこんな状況なのか」というのが正直な感想です。

なぜこれほどまでに時間がかかるのか、この時点では把握していませんでした。
これについては、翌日の21日目に訪れた宮城県気仙沼市にて明らかになります。

TO TOP